
中咽頭がんと闘う
私のがん闘病記録

自己紹介
昭和38年4月生まれ
東京在住
2023年還暦の年に中咽頭がんに罹患
・首リンパ節のしこりを検査し、がんが判明
・原発は中咽頭がん
・頸部郭清術でリンパ節転移のがんを切除
・ダビンチ手術で原発の中咽頭がん切除
・術後、取り残しが判明し35回の放射線治療・
7回の抗がん剤治療を受ける
身長167cm 体重63kg
(がん罹患以前は68kg)
▼目次
首にしこりが
ある日、突然
2023年6月のある日、スポーツクラブで久々にプールに入った。久々だったのでなかなかうまく泳げない。いつもより心拍が上がり、これまたいつもする様に首に手を当てて脈拍が落ち着くのを待っていると、指先にビー玉ほどのしこりのようなものを感じた。
「あれ・・なんだ・・こんなしこり前までなかったんだけどなあ。。。」
その日は特に気になったわけではなく、しばらくしたら無くなるだろうなどと、それっきり忘れていた。
消えないしこり
その後、1ヶ月経ってもしこりは消えない。コリコリした感触で結構硬い2cmくらいの大きさのしこりだ。兄に話をしたら「良性の腫瘍じゃないか。俺も頭の後ろに腫瘍ができたが、すぐ無くなったぞ」との反応。自分でもいつかは消えてなくなるだろうと放置していた。
急激に大きくなるわけでもなく、1個から複数個へとしこりが増えるわけでもない。でも何か気になる。医者に行こうか行くまいか。1ヶ月くらい悩んで妻に相談すると、「気になるなら一度ドクターに診てもらったら」と背中を押される。
後から考えると、この妻の一言が癌のステージに大きく関係する事になろうとは、この時は知る由もない。
耳鼻咽喉科で診てもらう
8月28日、意を決してなどと一大決心をしたわけではなく、WEBで家に一番近い耳鼻咽喉科を探し、診察をしてもらった。初老のドクターは一通り触診等行った後、「多分良性の腫瘍だと思うよ。癌ならもうちょっと硬いし、群生するのが多いので、この大きさは多分違うんじゃないかな。」との診断。「もし気になるなら大きな病院に紹介状を書くから。」とも言われた。
一応安心したものの、もしもの事もあるからと思い、近くの総合病院への紹介状をもらうこととした。
がんの告知
総合病院に行く
9月12日、毎年行っている人間ドックと同様の気分で、耳鼻咽喉科に紹介された近くの総合病院に行った。担当のドクターは女医さんでサバサバした口調の方だった。
「うちの病院の内視鏡は精度がイマイチなのよね。」などと言いながら、触診・血液検査・エコー検査、内視鏡を鼻から入れての撮影など行った後、生体分析のため注射器でしこりの成分を何度か抜き取って診察は終了した。
がんの告知
一週間後、検診結果を聞きに総合病院を訪れた。
待ち時間もスマホでトランプゲームをしながら、
どうせ「良性の腫瘍ですね。簡単な手術で取り除けるので今日切っちゃいますね。」
こんな一言が来るだろうなと思いながら待っていると、部屋に入る様に呼び出しがかかった。
「悪いお知らせを伝えなければなりません。」唐突にドクターが言った。
「生体分析をしたところがん細胞が見つかりました。首のしこりは転移した扁平上皮がんです。」
予想外の言葉だ。
まるで「風邪ですね」と同じような気軽さで「がんですね」と言われたため、少し混乱した。
俺ががん? 扁平上皮がんってなんだ? なんでこんな簡単に告知されるんだ?
こんな時は「家族を呼んでください。」とか「今から大事なお話をします。」「落ち着いて聞いてください。」とか言わないのか?
告知を受けた直後は、混乱し、動揺したため、ドクターの言葉がちゃんと聞けたかどうか心配であったが、ドクター曰く
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首のしこりは分析の結果、扁平上皮がん
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しこりはリンパ節にがんが転移したものであるため、原発のがんを特定しなければならない
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そのため、胃カメラ、PET検査、MRI検査が必要。明日の予約を取ったので来てほしい
とのことであった。
原発不明?
がんの告知を妻に知らせなければいけない。結果はラインすると朝話していたので「悪い知らせ。結果は扁平上皮がん」とライン。20年前に子宮がんに罹患し寛解した妻は、「治療しましょう!頑張って!」とエールを送ってくれた。混乱している私には嬉しい言葉だった。
翌日、胃カメラとCT検査を行い、5日後にPETとMRI検査を行った。
一週間後、診断結果を聞きに行くと意外な言葉が返ってきた。
「原発不明です」
身体中くまなく検査したのだが、他の臓器にがん細胞は見つからなかった。期待していたPET検査でも癌らしい腫瘍などは見つからなかったとのことであった。
今後の治療方針を聞くと、転移した首リンパ節の扁平上皮がんは郭清手術にて取り除き、原発不明のまま、抗がん剤と放射線で治療を行うとのこと。
ドクターはうちの病院で治療するのもよし、転院したいのであれば紹介状も書くとのこと。私の妻の弟がドクターであり、その意見も聞いた後に判断したいと言うと「過去の経験から、家族にドクターがいる場合、90%以上の確率でがん専門病院を勧められますよ。それでも我々は全然構わないですけどね。」と答えてくれた。
病院を変える
義弟に連絡すると、予想通り「がん専門病院で治療した方が良い」とのアドバイスをもらった。理由はがんに特化した病院の方が手術の症例が多いこと、更にがんに特化した施設・設備が整っていること等、既にがんであることがわかっているのだから、東京であれば国立がんセンターか癌研有明病院が良いのではないかとのことだった。そこで、自宅から通いやすい癌研有明病院を選択した。
総合病院のドクターに紹介状をお願いしますと伝えたところ、「ほらね」という顔ではあったが紹介状の手配をしてくれた。若干後ろめたさがあったのだが救われた気持ちだった。自分の体のことだから気にすることはないのだけど、この後ろめたさは何でだろう。
全ての治療が終わった今、思える事は「気にする事はない。判断が間違った時、ドクターは責任を取れないし、取らない。自分が後悔のない判断をすべき。」なのである。
1〜3週間で自宅に紹介状が届くとのことであったが、紹介状は10日後に届いた。
原発はどこだ!
癌研有明病院に行く
10月13日、紹介状を持って癌研有明病院を訪れた。
ここが私と共に戦ってくれる病院か。WEBサイトを閲覧すると病院は新しく、病室も綺麗そう。当たり前だけどがんの手術例が多いのも安心できるポイントだ。
喉のがんなので耳鼻咽喉科と思いきや、頭頸科という診療科での対応になるとのこと。主治医はまだ30代に見える若いドクターで少々驚いた。高齢の手が震えているようなドクターより若い方が良いが、内心大丈夫か?と不安が覗く。
若さあふれる主治医曰く「今後治療に関してはチームを組んで対応します。複数の意見から最適な治療法を導き出します。どうぞ安心してください。」原発不明がんは不安でたまらないが、彼らに任せてみよう。どうせまな板の上の鯉なんだから後はプロに任せよう。そんな気持ちになった。
診察の翌日に胃カメラ。4日後にCT検査とMRI検査。てっきり前の総合病院のデータを使うかと思いきや重複するような検査を行った。医療費がもったいないなとも思ったが、前の病院と違う観点での撮影で、とにかく原発を見つけてほしいという気持ちだった。
原発不明がんというもの
ところで、ネットで「原発不明がん」を調べると不安な説明しか出てこない。
特に気になったのは生存率で、原発不明がんの5年生存率10%未満というのは愕然となる記事だった。
10%未満か。。。死が急に近くに感じられた。俺は十分人生を楽しんだか?未練はないか?思考はグルグルと定まらず行ったり来たりした。
ただ驚いたことに不思議と落ち着いていた。死んだ後のことをちゃんとしておこうと考え、銀行口座を整理し、遺書も書いた。後に残す妻のことを考えると気分が落ち込み、感傷的になった。
後から考えるとこの時が一番先が見えず、情緒不安定だった様に思う。
原発不明がんとは何か?(google検索)
原発不明がんとは 体内に転移した癌が存在しているにもかかわらず、十分な全身の検査を行っても、発生した臓器が分からないがんを「原発不明がん」という。
原発不明がんの症状は?(google検索)
原発不明がんでは、全員に共通する特徴的な症状はなく、がんが転移した部位によって現れる症状が異なる。 たとえば、リンパ節に転移している場合は、首のまわり( 頸部 けいぶ )、わきの下( 腋窩部 えきかぶ )、足の付け根( 鼠径部 そけいぶ )などに、しこりができることがある。
原発不明がんの生存率は?(google検索)
一般に原発不明がんの予後は不良で、1年生存率は25%未満、5年生存率は10%未満とされている。
原発見つかる!!
一週間後、各検査の結果を聞きに主治医を訪ねる。
診察室のドアを開け、椅子に座った途端に主治医からとっておきの言葉が発せられた。
「原発のがんが見つかりました!」
見つかったのは胃カメラのおかげだった。
「うちの病院の胃カメラ担当医は良い腕をしてるんです。」得意気に主治医が言った。
「彼が中咽頭に僅か5mmの原発がんを見つけてくれたんです!」
癌研有明病院ではチームを組んでいると前述したが、主治医とチームの医師が私の前に勢揃いして画面を見て、「これを見つけたのか!」と小声で驚いた感じで話していた。妻もこの声を聞いており、チームの医師達が感心するほど小さい原発がんを見つけてくれたのかと感心し、感謝した。
これで5年生存率10%未満の原発不明がんから、中咽頭癌がんが原発と確定した。
更に主治医からはウイルス由来であればステージⅠ。ウィルス由来でなければステージⅢと告げられた。結果が出るのは血液検査の後だそうだ。頼むからウィルス由来であってくれ!
この時再度祈った。
頸部郭清術(首リンパ節の扁平上皮がん手術)
ステージⅠ確定
中咽頭がんの進行度は
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原発癌が2cm以下(5mm)➡︎ T1
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片側のリンパ節転移で最大径が6cm以下.➡︎ N1
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遠隔転移なし ➡︎ M0
上記条件下で原発がんがウィルス由来ならステージⅠ、ウィルス由来でなければステージⅢと主治医から言われた。5年生存率はステージⅠなら83%。ステージⅢなら73%だそうで、ここでの10%はとてつもなく大きな差だ。
一週間後の血液検査の結果はウィルス陽性。
ステージⅠ確定だ!
更にもう一つ、主治医から嬉しい提案があった。
昨年より保険適用となったロボット手術ダヴィンチで5mmの原発がんを取り除けるとの事。これにより放射線・抗がん剤治療をする必要がないと言われた。
なんて幸運な人間なんだろう。自身がいかに幸運かを時系列で思い浮かべてみた。
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首のしこりが気になり、すぐに病院に行った事
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癌研有明病院に転院し、優秀な医師のおかげで5mmの原発がんが見つかった事
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ステージⅢではなく、ステージⅠとなった事
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昨年保険適用内となったロボット手術が受けられる事
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癌研有明病院がダヴィンチを複数台有しており、当該手術を得意としている事
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それにより放射線治療・抗がん剤治療を受けなくて良くなった事
この時は本当に自分は幸運な人間だと感じていた。数ヶ月後、人生そこまで上手くはいかないことが分かるのだけれども・・・。
頸部郭清術
難しい漢字でわかりにくいが、要は転移したリンパ節のがんの摘出手術だ。主治医曰く、耳の下から鎖骨までリンパ節をガサっとえぐり取るとのこと。
手術前日に抗原検査を受けた後、入院。翌日の11月3日に頸部郭清術を行うこととなった。
綺麗な手術室にはクラシック音楽が流れている。十字架にかけられたように両手を伸ばす形で点滴、血圧計等々が体に設置された。医師から麻酔かけますね〜の言葉と共に眠りに落ちた。
昔から麻酔は好きな方だ。一気に記憶がなくなる非日常感がなんとも言えない(変だろうか?)麻酔から覚めた後ベットに括り付けられ病室まで運ばれた。
堪らない痛さ
手術は痛かったでしょう。と良く聞かれるるのだが、今回の手術で一番痛かったベスト3は
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足にエコノミー症候群防止のために空気で圧迫〜弛緩を繰り返す機械を巻いていたため寝返りがほとんど打てなかった。その時の腰痛が耐えられず、手術日の夜は激痛でほぼ寝れなかった。
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尿管に管を入れて小水を流すのだが、これでおしっこをする時が無茶苦茶痛い。おしっこするたびに泣いていた。
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口内炎が一気に出てきた。舌はは真っ白になり、歯ブラシで擦ったら地獄の痛さに変貌した。
そもそも入院の経験がほぼ0であったため、看護師に痛み止めの点滴をお願いすることができなかったのが苦痛の根源であった。鎮痛剤は遠慮なくお願いした方が良いと思う。
手術後の状況
頸部郭清術が終わって、毎朝備忘録的に妻にLINEしていた。その内容を抜粋してみよう。
11/04 手術翌日。体温37.5度 だるさは変わらず 喉と尿道が痛い。
11/05 ドレーンの血液は少なくなってきた。喉が腫れ、声が出にくいが痛みは収まってきた。
11/06 ドレーンが取れた。この日から通常食となった。痛みはほぼなくなった。
11/07 痛みもなく、通常通りの行動が出来るが、手術跡は腫れており感覚がない。
11/09 手術跡の抜糸完了。手術跡は触ってもなんともないが感覚が弱い。
最初の手術の反省は、痛みの調整がうまくできなかったこと。
痛みは我慢するものではなく、都度看護師さんに相談しながら痛み止めも躊躇なく利用すると
いうことを勉強した。この後ロボット手術、胃瘻増設と2回手術を行ったが、後の2回は痛みと
うまく付き合えたと思う。


経口腔的ロボット支援手術 (ダヴィンチ手術)
ロボット手術のメリット・デメリット
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ロボット手術の歴史(癌研有明病院HPより抜粋)
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ダビンチは1990年代に米国で開発され、2009年に日本で薬事承認された。2024年1月の時点で、日本では700台以上(世界第2位の保有台数)、世界では約9,100台が導入されている。また、2023年の1年間で、世界では約220万人の方がダビンチ手術を受けた。
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診療実績(癌研有明病院HPより抜粋)
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2018年5月から2023年12月までに、745人の患者さんが当院でロボット支援下結腸または直腸手術を受けた。また、2023年1月から12月までの1年間に1025人の方が当院でロボット手術を受けた(大腸外科以外の科を含む)。
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ロボット手術のメリット(癌研有明病院HPより抜粋)
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早期癌がんは比較的効果が高いことが期待できる。「拡大切除手術」に比べて、話す、飲み込む、呼吸をする塔の機能温存に優れる 。
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ロボット手術のデメリット(癌研有明病院HPより抜粋)
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治療の効果に個人差があり、効果が充分に出ないことがある➡︎がんの残存の可能性。 早期の副作用(回復します)➡︎喉や口の中の粘膜、皮膚に強い炎症➡︎喉や口の中の粘膜、皮膚に強い炎症による強い痛み、腫れ、むくみにより飲水や食べることが困難、誤飲性肺炎の恐れ
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手術とその夜
ダヴィンチ手術は12月5日の朝一番、9時から開始された。
病棟エレベーターで妻と合流し、看護師の案内で手術室に向かう。
妻からのしっかりとした励ましの言葉は心に響いた。命のかかった手術ではなかったものの、必ず成功して帰ってくるぞと気合が入った。
手術室は前回とはまた違った、SFの世界のような未来感のある部屋であった。
手術台に寝かされ、上を見ると2台の大きな照明器具、左にはダヴィンチの機械が見える。これから全身麻酔で数時間は楽しいんだけど、麻酔が切れたら痛いんだろうなあ、などと考えているうちにまた十字架のように腕を広げられ、血圧等の機器、麻酔薬用の点滴が設置された。ああ意識が遠のいていく。。。
気がつくとそこは自分の病室だった。足の圧縮をする機械と尿道の管が入っているのは前回手術同様だったので、こまめに寝返りを打つことにより、前回の様な腰痛は起こらなかった。また痛み止めを適宜流してもらったおかげで尿管の小便時の激痛も前回より軽減されていた。
しかし、しかしだ。今回激しく来たのは舌の痛みであった。ダヴィンチの機械が舌を傷つけたことから舌が膨れ上がって、この激痛が夜通し続いた。うまく表現できないが舌が腫れすぎて歯と歯を合わせることができない。個人的には舌が3倍くらいに膨れていた感触だった。それこそ1時間毎に時計を見ても全然時間が進まない。夜がとてつもなく長く感じ、激痛で涙が止まらなかった。
翌日から一週間の経緯
翌日
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朝担当の看護師さんが足の圧縮装置と尿管を外してくれた。尿管を外すときはまた激痛か?と身構えたが、痛み止めのせいか、前回の手術で慣れたせいか、すんなり痛みなく抜けホッとした。中咽頭がんはもう存在しなくなったんだ!という喜びを強く感じた。血の混ざった黄色い痰が大量に出た。ティッシュペーパー1箱があっという間になくなった。
2日後(%は痛みのレベル。100%が耐えられる最大で、0%が最小)
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舌の痛みはまだ強く、80%くらい。
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手術後の喉の痛みは60%くらい。
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下顎の腫れ、浮腫みは80%くらい。
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痰の量は相変わらず多いが、血は混ざらなくなった。
3日後
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舌の痛みは昨日より良化し、50%くらいだが、新たに痺れた感じが出てきた。
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喉の痛みはは30%くらい。
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下顎の腫れ、浮腫みは50%くらい。
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痰の量は昨日の2/3に。色も黄色から透明に近くなってきた。
4日後
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舌の腫れ・痛みは昨日の夜、急に激しくなった。原因は看護師さんから支給された医療用ブラシ。これで舌の白い苔のようなものを取ったことにより夜中の1時頃から100%の痛みがぶり返した。眠剤と痛み止めを点滴するも痛みは治らず。夜通し泣いていた。
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痰の量も変わらずだが唾が大量にでる
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喉の痛みはは20%くらいあまり気にならなくなった
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下顎の腫れ、浮腫みは50%くらいで変わらず
5日後
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舌の腫れ具合は、昨日夜からうがい薬をもらい大幅に改善。痛みのレベルは40%くらいまで良くなった。鼻から胃まで直通の管が入っているため、唾がうまく飲み込めない。ただ痰はだいぶ少なくなくなってきた。手術後からティッシュペーパーを1日1箱使う生活が続く。ティッシュ自体もより細やかなカシミヤティッシュに変えた。
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喉の痛みはほとんどなくなった。
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下顎の腫れ、浮腫みは50%くらいで変わらず。
6日後
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舌の痛みは30%くらいまで、だいぶおさまってきた。だが鼻の管のせいで唾がうまく飲み込めない。これ本当に何とかして欲しい。ティッシュの一日一ケース(300枚!)のペースは変わらない。
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喉の痛みはなくなった。
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下顎の腫れ、浮腫みは30%くらいで変わらず。
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診察で喉の状態が思ったより悪いとのことで、鼻の管が抜けるのは4日後に延期とのこと。何てこった。長すぎる。辛いなあ。
21日間の入院生活
一週間を超えると痛みのレベルはほぼおさまってきている。リンパ節の手術とは違いロボット手術は術後の回復が早いこと、我が身で思い知った感じである。ここで気になるであろう入院生活の諸々の件に関し、書いてみよう。
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病室
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病室は基本32平米の4人部屋であった。(4人部屋の窓側は差額ベッド代+5,080円が必要)
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一般個室は差額ベッド代金+33,600円〜
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テレビ・冷蔵庫
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4人部屋のドア側はカード式でテレビ・冷蔵庫は有料で利用可。(窓側は差額ベッド代にテレビ・冷蔵庫代を含む)
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インターネット
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患者用のWIFIあり(これが本当に役に立った。パソコン・IPADが利用できたのでほとんどテレビは見なかった。)
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お風呂 時間制30分
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朝6時が起床、10時が消灯が入院のルールであった。シャワーは病棟に2機設置されており、6時起床と共にボードに予約を入れる形式であった。シャワー時間は30分で、10時〜17時(土日は10時〜16時)の間で無料で利用可能
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洗濯
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病棟に1つ洗濯機と乾燥機がある。カード式でそれぞれ100円で利用可能
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買い物
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基本は1Fと5Fのファミリーマートで事足りる
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食事
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7時、12時、18時が食事の時間。メニューは2種類が洗濯可能で、2日先のメニューをリクエストする形。
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12/6に中咽頭癌のロボット手術を受けた後は、12/19までの約2週間鼻からの流動食が続き、12/22の退院日までは重湯が続き普通食が食べられなかったのが大きなストレスであった。
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抗がん剤治療と放射線治療
治療終了じゃないの?
2024年1月5日。手術後の経過も良好。10日間の自宅療養の後、いよいよ職場復帰のお墨付きと今後の経過観察の予定を主治医に聞く日が来た。しかし、意気揚々と診察室に入った私に想定外の言葉が!
「ロボット手術で取りきれなかった癌細胞が細胞レベルで残存している可能性があります。これを再手術で取り除くか、放射線&抗がん剤で治療するかをチームで検討しています。」
治療終了とばかり思っていた私には突然すぎて、瞬間的に脳がフリーズした。
えっ。治療終了じゃなかったの?
ロボット手術で取りきれないんだったら最初から放射線にすればよかったんじゃないの?
なんのために辛いロボット手術を受けたの?
しかし、頭の中で渦巻くこれらの言葉が私の口から発せられることはなかった。
当初の想定より癌の浸潤が深いということは想定の範囲内であり、希望的観測で勝手に治療終了と考えていた私が脳天気だったのだ。
冷静に、興奮しないように主治医に何点か質問を投げた。
主治医の回答は冷静かつ論理的であり、私は納得せざるを得なかった。
迫られる選択
宣告から10日後、再び診療に訪れる。
ロボット手術による再手術は現実的でなく、私が取るべき道は2つらしい。
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抗がん剤治療は行わず、放射線を下顎から食道まで35回、総量70グレイを照射する。(副作用軽い)
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抗がん剤治療7回と、放射線を下顎から食道まで35回、総量70グレイを照射する。 (副作用重い)
1の場合、比較的楽に治療が可能。胃瘻増設の必要もないとのこと。これによる完治の可能性は90%。
2の場合、治療の後半はかなり辛く、食事も取れなくなる為、胃瘻増設の必要あり。他に副作用として火傷が酷い・難聴・手足の痺れが出ることがある。完治の可能性は95%。
5%の違いでこんなにも辛さ・副作用が違うんだな。と考えると必然的に辛くない方の1を選びたくなってしまう。
胃瘻増設も見栄えが悪く、跡が残りそうで、できればしたくないなと思っていたので、2を選ばなくて良いための言い訳をあれこれと考えるようになった。放射線科・内科のドクターにどちらの選択が良いか聞いたが、二人ともはっきりしたことを言わない。帰りしなに看護師さんと今後の打ち合わせがあったので、「看護師さんならどっちを選びます?」と質問してみた。看護師さん曰く、「私なら抗がん剤は受けないかな…」やっぱりそうだよね。ふつうはそう思うよね。
私は、ほぼ抗がん剤なしでの治療を選択しようとしていた。そして選択の理由を探していた。
全部やる!
主治医に選択結果を話すのは1週間後。
ほとんど「抗がん剤なし」に決めていたのだが、最後にドクターである義弟に意見を求めようと電話をした。
義弟が「抗がん剤なしでも大丈夫だよ。」と言ってくれるのを期待して…。
義弟は慎重に言葉を選んでこう言った。
「放射線治療は照射する幹部にのみ有効であり、もし万が一他臓器に転移してしまっていた場合、根治とはならず、再発の可能性がある。既に首リンパに転移しているという事は、他臓器に転移していないとは言い切れない。寛解率が5%でも上がるのであれば、抗がん剤治療と放射線治療の両方受けるべきだと思う。」と
更に義弟に質問した。もし君が俺ならどうする?
義弟は「もちろん両方受ける。だって子供も小さいし、まだ死ぬわけにいかないから」と
9割決めていたものがグラグラと崩れた気がした。想定はしていたものの、できることなら違う言葉が聞きたかった。
しかし、判断の決め手は生きるために最善の手段を選択すべきという事なんだ。
私は何かと理由をつけて安易な選択をするところだった。
もし再発した時に、自分が後悔しない選択って何だ。
それは、今できることを「全部やる」ってことだ。
胃瘻増設手術
かっこよく決めたのは良いが、「全部やる」の第一番目のハードルが胃瘻増設だ。
どうやら胃瘻増設は1週間ほど入院して、手術で設置するようだ。
もうすっかり慣れっこになった手術室への道。看護師さんに促されオペ室に入る。そしていつもの様に全身麻酔で気を失う。
目が覚めるとすでに病室にいた。過去2回の手術より全然楽なのだが、お腹に穴が空いているためか、腹筋を切断しているためなのか、腹に力が入らない。というか腹筋が猛烈に痛かった。看護師さんから痛み止めをもらい落ち着くが、明け方2時頃から1時間ごとに痛みで目が覚めた。くしゃみが猛烈に腹に響く!痛い!
胃瘻増設による入院は1週間。胃瘻が機能するか、術後の経過を見るためにもこの入院期間が必要らしい。
手術日から翌々日まで絶食。3日目の朝食は口から食べられる幸せを感じる。美味しそうでない病院食もこの日は美味しく頂けた。
4日からは胃瘻の摂取方法のレクチャーが始まった。流動食も半固形食も上手に出来、優秀な生徒と看護師から褒められた。
腹筋は70%くらいまで改善したがまだちょっと痛む。
1週間後の退院の日に胃瘻の抜糸を行った。抜糸後は胃瘻の器具の隙間から体液が漏れることがある。その防止のためにティッシュペーパーでこよりを作り、胃瘻の箇所に3周ほど巻きつけるよ良いそうだ。早速実践してみよう。

抗がん剤治療
2月6日。抗がん剤治療はまず採血から始まる。採血の1時間後に内科医の診療があり、血液検査の数値に問題がなければ、劇薬である抗がん剤(シスプラチン)の精製が始まる。作り置きではなく患者ごとに都度精製するとのこと。だいたい30分後くらいに呼び出しががあり、そこから約3時間の長丁場の点滴(生理食塩水・吐き気どめ・利尿促進剤・シスプラチンそれぞれ)が始まる。
投与中移動ができるのはトイレだけ、初日は勝手が分からず、コンビニで昼食を買いそびれた。投与のリクライニングシートはカーテンで仕切られているので、飲食が可能だし、テレビもイヤフォンで視聴可能だ。勝手のわかった次回からはおにぎりと飲み物、IPADを持ち込み映画を観ながら投与の時間を潰した。
抗がん剤治療は毎週月曜日の全7回の投与だ。初回から4回目の投与までは初日はなんともなく、2〜4日目にだるさが出るようなサイクルであった。後半の投与時は放射線照射の影響もあり、投与翌日からまるまる1週間だるさが続くようになった。
よく「シスプラチンは吐き気が凄い」と言われるが、私の場合はさほどでもなかった。点滴として投与される最近の吐き気どめはかなり効きますよとドクターからは聞いていたものの、ほとんど気にせず済んだのはありがたかった。
